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日航機墜落事故で叔父さんが亡くなった時の記憶

小学校の卒業アルバムにも、
載っていた記憶もあり
今でも鮮明に覚えています。
現在でも、ネットで検索をすると、
乗客・乗員名簿が見ることができ、
そこに叔父さんの名前が載ってるのが悲しいです。


単独の航空機としては史上最悪の事故。
当時小学生で家で1人留守番をしていました。
父親は会合に出ており、
母親と兄は銭湯に行ってました。
自分はゲームをして家にいました。

そんな日の20時過ぎに電話が鳴りました。
普段鳴らない電話が鳴り、
すごく気持ち悪い記憶があります。
電話に出ると親戚の叔母さんで、
自分しかいない事を告げると、
「ニュースみてるか?」
TVをつけると日航機のニュースをやっており、
「これに旦那が乗ってる」と言われ、
小学生ながらも大変なことになってる感じました。
とりあえず、親が帰ってきたら連絡欲しいという事になり、
電話を切りました。

当時は携帯電話も無い時代でしたので、
親と連絡も取れない状態。
父親の場所はわかりませんが、
母親が行った銭湯の場所はよく知ってるので、
そこに行き、母親を呼び出してもらい、
このことを告げました。

すぐに、母親、兄、自分で家に帰り
再度親戚に電話をかけ様子を聞くと、
・搭乗は間違いがない
・おそらく墜落した
・まだ機体は見つからない

という状態だったと思います。

翌日には、
日航機の墜落現場が放送され、
次々と遺体が見つかるも、
何日たっても、
どれが叔父さんかわからない状態だったそうです。
当時、違う親戚の叔父さんが現地に行っていたのですが、
異臭が凄かったそうです。
最終的に歯型をもとに判明しました。

相当日がたってから、
盛大なお葬式をした記憶がありますが、
自分は叔父さんを最後まで見ていません。
恐らく、遺体の損傷と時期がお盆という事もあり、
荼毘に付してたのでしょう。


自分は、
JGCの会員となり
今でも、JALに乗りますが、
以前母親にそんなことがあったのに、
JALに乗るのかと言われました。
こんな悲惨な事故を経験したJALなら、
二度と同じことがないように
注意するのではないかと思っています。

今後もこのような事故がないように
切に願っております。